ポプテピピック

f:id:koumeiotaku:20180119233335j:plainニコ動ランキングのコンテンツに「ポプテピピック」というアニメが圧倒的再生数1位2位を独占していたので気になって見てみた。
…えっ。。。
…えっ。。。
…。
脳みそが溶けたのかと思った。
他人に説明できない、というか説明する類のものではない何かであった(白目)

バーっと感想を言うと、銀魂おそ松さんっぽい80〜90年代のアニメやゲームのパロディと、フジテレビ的な楽屋オチ、業界内部をチラ見せする手法で、ギャグアニメでは散々やりつくされた感があるところから始まるんだけど、途中で新しい(いやアニメオタクなら知ってる人は知ってるんだけど)手法が出てくるので、なるほど、という感じ。
サブカルチャーというか、ポップカルチャーの集大成という感じだし、極めてニコ動的な感じだから、宣伝手法としてニコ動というプラットフォームを使うのも正しい。
サブカルチャーの終わりの始まりが銀魂おそ松さんだとすると、ポプテピピックポップカルチャーの終わりの始まりを体現している。
番組自体の二次創作、N次創作をしている。
19世紀にドストエフスキーのような大衆小説ブームが起きたあと20世紀は小説が死滅しかかっているところに小説の2次創作・パロディ小説が行われることで小説リバイバルが起きてもう一度ブームが起きて寿命を延ばしたように、村上春樹的な2次創作が起きたように、教養と呼ばれるジャンルは前世紀のメガヒットコンテンツの2次創作をネタに語り合うインテリの趣味だとすると、21世紀のインテリにとっての教養は間違いなく20世紀後半の映画・アニメ・ゲーム・ドラマ・バラエティのパロディを元にした何かであるのは間違いなく、その入り口として、サブカルチャーパロディとして銀魂おそ松さんがあるとしたら、ポップカルチャーパロディとしてこのポプテピピックが該当すると思う。
お笑いの手法としてはありきたりで、すごく80~90年代的。
その頃流行った手法は、意味のない記号を意味のない別の記号に置き換えるという、意味Aから意味Bにズラしてクスクス笑うというお笑いで、それは、意味のないことこそが最も政治的たり得るという、60年代の政治の季節の終焉後に開発された手法で、その態度は日本が余裕があるからこそ通用していたし、カウンターとして機能していた時期は通用した。
でも90年代に入り余裕のなくなった日本で、かつカウンターカルチャーとしての耐用年数が尽きてもなお楽屋オチ・内輪ウケを使い続けるのには無理があり、だからこそフジテレビ的なバラエティは「サムイ」の代用名詞になってしまっていて、しかもその自分たちのサムさに気づかないテレビ業界人はA級戦犯なんだけど、ポプテピピックはその一歩先に進めている気がする。
具体的には、番組内で同内容の動画を2回流し、声優違いでのキャラクターを楽しむ手法が新しかった。
近い事例でいうと涼宮ハルヒの憂鬱エンドレスエイトがあるけど、あれは視覚的な差異、展開の微妙な差異を楽しむもので、(元ネタはうる星やつらの劇場版第2弾ビューティフルドリーマーだけど)、映像がほぼ同じで単純に声優だけが違う、という楽しみ方はこれまでになかったと思う。
しかも最近のアニオタは声優に興味があるから、マーケティング的にも正しい。
そして個人的にはクロノトリガーのパロディが出てきたとき懐かしすぎて泣きそうになった。
もはや映像とは新しいカルチャーを生み出すコンテンツではなく、過去の原体験の記憶を効率的に復元する装置として機能するもので、それを再確認できたし、その先の可能性(新しいものを生み出すもの)を少しでも感じられたような気がする。
ただ、ポプテピピックが面白いというのは、カギ括弧付きの、限定的な評価であることも言及しておきたい。
要は、ポプテピピックの驚きとは、これを民放・地上波(TOKYO MX)でやったことの驚きだが、逆に言うと「これを民放・地上波でやった」以外の驚きは特にないということ。
ゼロ年代の、まだライトオタク若者層を代表するメディアたり得る可能性があった頃のニコ動ではこれに類する動画が腐るほど挙がっており、ゼロ年代のニコ動で散々やってきたことが、10年後やっとテレビで放送できるようになったという言い方もできる。
民放・地上波に期待するのを諦めた自分としては、もう尖った表現はサブスクリプションサービスに任せればいいと思っており、ここで「あえて」民放・地上波でゲリラのような変則的なコンテンツを流すことに、そこまで意味を感じない。
既に市民権を得ている銀魂おそ松さん以外のアニメでもこういうコンテンツを流せることは良いことだと思うけど、逆にいうといまだにテレ東やMXでしか流せず、これをフジテレビや日テレで流せないことが、民放がいかに終わっているかを逆説的に物語っているし、この傾向は世界がひっくり返っても変わらない不可逆的なもので、アルビン・トフラーの第三の波的な引き返せない楔的なもので、あの頃のキラキラ輝いていたテレビは二度と戻ってこない。
むしろ、テレビという圧倒的にリーチするメディアで、リーチを目指さないコンテンツ(ターゲットをセグメントするコンテンツ)を流していることが、テレビの終焉を物語っているし、それは逆にチャレンジングなことだとも思う。
特にお笑いのジャンルでは、「悪意とこだわりの演出術」という本に書いているように、バラエティは「わかる人にはわかる(わかる人にだけわかればいい)」という、お笑いリテラシーを試すような、お笑い格差を助長するようなコンテンツが増えていて、ポプテピピックもこれに該当する。
でもターゲットセグメントメディア・コンテンツというものは得てしてそういうものだし、教養というのはそういうものだからそれでいいと思う。
と、色々思うことはあるけど、ここまで語りたくなるアニメというのは良いものであるということだから、BPOから叩かれないようになるべく長く放送できることをお祈りしています。

以降はアニメの流れを備忘録的にメモ。
あれ?観るアニメ間違えたかな?から始まる
パロディネタは(わかる範囲で)スーパーマリオ君の名は。クロノトリガー蒼き流星SPTレイズナーけものフレンズるろうに剣心、プリパラ、フォレストガンプとなりのトトロポケモンベルセルク、スカイリム、モンスト、超時空要塞マクロスガーディアンズオブギャラクシー、エヴァギャグマンガ日和ウゴウゴルーガダークソウル3アサヒスーパードライ太陽にほえろ!涼宮ハルヒの憂鬱ラブライブアイドルマスター勇者王ガオガイガー銀魂、心霊番組、リング、スーパーロボット大戦星のカービィダンガンロンパピタゴラスイッチ、たなくじ

他にももっと元ネタあるはずだから、万が一このアニメを見た頭のおかしい人がいたら、ここに指摘されてない元ネタを教えてほしい
元担当として、アサヒスーパードライのパロディがあったのは嬉しいし、関係者にはこのアニメすすめたい。