はあちゅう『「自分」を仕事にする生き方』感想

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はあちゅうの『「自分」を仕事にする生き方』を読んだ。

…すごい、圧倒的だった。

ますますはあちゅうに対して勘違いしていた自分を恥じた。

文章が面白いわけでもなく、内容が濃いわけでもない、でも言葉が刺さるのと、行動力が凄い。

一言で言うと、岡田斗司夫の『プチクリ』という本の正統な実践者だった。

プチクリ』というのは「プチクリエーター」の略、つまりプロクリエイターになれなくても、好きなことを突き詰めればちょっとしたクリエイターになれる、ということ。

自分に才能と行動力があればいつかそうなりたいと思っていたけど、自分は行動しなかった。彼女は行動した。
岡田斗司夫の思想を体現し成功させた同世代として、だから嫉妬していたのだと気付かされた。

小学2年生の作文コンクールでノート2冊分の感想文書いて文字数オーバーでエントリーできなかったとか、中3の受験で忙しい夏休みに読書感想文300冊分書いて先生にそれはウソだろ、と言われたエピソード聞いて、大学4年間頑張って読書して350冊しか読んでない自分は才能がない、好きという気持ちが足りないのだと。

すでに生まれた時から情報処理能力が違うのだと。

ブログ少し見てみて文章つまんないと思ったけど、あのブログの後ろにとんでもない読書量と文章量が糧としてあるんだと知り、これは勝てない、と思った。

 

【印象に残ったフレーズまとめ】

文章はつまらなくても、個性を掛け合わせることでオリジナリティを出せる

世の中は常に新しいものを求めているから、専門家より変態的な素人の方が面白い時代

好きの見つけ方は、例え得意ではなくとも飽きずに無自覚にしていること、嫌いなものを目の前にした時についしてしまうことが好きなこと

そもそも仕事とは、世界を自分にとって住みやすいための場所に変えること。私にとってはワクワクする活字に思う存分触れられる世界を作ること
仕事は自分を幸せにするためのもので、幸せにならない仕事は手放してもいい
仕事をいかに楽しむか
お金は使うものではなく回すもの
お金は物やサービスの交換の仲介者でしかない、お金そのものに価値はない
仕事はゲームである
自分はどんな人間で、どんなことをしたいのかをいつでも誰にでも話せるようになること
お金を払ってでもしたいことをお金を受け取ってできるようにすることが、自分を仕事にするということ
肩書とはその人の志、だから肩書を否定されると自分の志を否定されたようでショック
完全無欠な自分になるのではなく、不完全な自分のまま理想に向かって走る
自分に自信のある人ほど他人に寛容になれる
自分に自信を与えてくれる人とだけつるめ

才能が無ければ行動を早くする、そのために決断を速くする
大企業とフリーランスの一番の違いは決断スピード
判断を自分のところで寝かせない
直感で感じた楽しそうなことには躊躇せず飛び込まないと損

自分を使い分ける
短時間集中を小刻みに繰り返す
人に合わせるのはいい子ではない、人に合わせると言ってなにも考えずリサーチと決断を人任せにする人はむしろ無神経、決断の方が大変
質問をすることが会話の大人のマナー
仕事での恐怖は仕事でしか消えない
〆切のない仕事こそ本当の仕事
自分の今持っているもの、置かれている立場は、自分の努力やかけた時間の結果だと知っている人は自分を安売りしない
人と会うこととは考えること、会話すること自体が考えること
何もしないことは案外疲れる
仕事があるありがたみは、仕事がなくなって初めて気付く
夢を持つことはそれ自体が才能

【感想】

好きなものを自覚して突き詰めるというのと、お金は天下の回りものであって貯めることに意味はないというのは、まさに岡田斗司夫的、ホリエモン的感性。

仕事への姿勢はかなりシビアで責任感があり、ちゃんと電通鬼十則を血肉として学んで今に活かしている感じ。
自分の理想の世界へのハッキング、嫌な世界、つまらないを優しい生きやすい世界に変えるというのも宇野さんに似ている。
発信力はテクニックではなく熱量という持論に近いことも書いてあった。
21世紀は、人は誰でも誰かにとってアイドル、という時代が来るという持論があるんだけど、それを最初に体現したのがはあちゅうだと思う。

とにかく自分や自分が好きな評論家の感性に近く、反論の余地なし、そして圧倒的行動力が凄い。

 

【評論】
自分を仕事にするということは大好きなことを続けることだけど、続けようと頑張っている時点でもうそれは才能がないのだ、ということも無意識的かつ残酷だけど書いている気がする。
つまり、好きを仕事にするには、「続けよう」という「意志」や「集中力」を必要としてる時点でもう能力不足であり、才能や能力がある人は、好きを「熱中力」で飽きずに半永久的に行える人、ということ。
延々と好きなことに時間を割け、かつその情熱が途切れない人。

そして前提として、小中学生のころから圧倒的読書量、圧倒的文章量を執筆するだけの情報処理能力がないといけないということ。
そんなの、ごく一部じゃん、という、皮肉的な捉え方もできる。

【最後に、はあちゅうという人柄について】

この人はおそらく、人が嫉妬するような能力があることに無自覚、そして能力のない私でもここまで活躍できるんだから誰でも活躍できるはず、それができないのはその人が悪い(努力不足あるいは行動力不足な)のでは?と勘違いさせてしまうような、人の反感を買ってしまうタイプだと思った。
つまり、天然ボケ。

言葉の端々に、無自覚にステータス感を露呈させるワードがあり、人によってはこれも反感を買う原因になっていると思う。逆に言うと、すごく素直なんだと思う。

で、個人的には、やはりこういう圧倒的努力によって活躍してる人と、自分みたいな平凡な人は、前提として、能力や行動力、情熱、全てにおいて圧倒的な差があるとしか思えず、民主主義やめて階級社会にしてくれた方がラクだなと思う。

とりあえずフリーランス目指すより足元の仕事や趣味を最大限頑張るようにするところから始めたいと思う。