ポプテピピック3話とポケモンGOとリアル脱出ゲームの共通点

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ポプテピピック3話で確信した、このアニメはアニメの新しい手法、新境地を開拓している。
しかも、2つ。
一言で言うと、「声優によるデータベース消費、N次創作」と「前半(問題)と後半(答え)の分断」。

今までは、データベース消費や二次創作というのは、「視覚・聴覚」によるものだった。
この絵・作画はあのアニメのオマージュだ、このBGMはあのゲーム音楽のパクリだ、と。
それこそ銀魂的、おそ松さん的なもので、その画やBGMが出るたびに過去の作品が想起される、という快楽が享受できた。
でもポプテピピックは、「声優」という、必ずしも1つのアニメ・ゲームキャラクターの役柄だけでない、複数の役を演じている人をデータベース消費化させることで、2次創作にとどまらない、N次創作をさせるというアクロバティックな手法を起用している。

3話の前半の声優は、ポプ子役を小松未可子、ピピ美役を上坂すみれという正規キャストが担当したが、後半はポプ子役を中尾隆聖、ピピ美役を若本規夫が担当。つまり、フリーザの声優の中尾、セルの声優の若本という、ドラゴンボールの悪役コンビのコントに見えるのだ。
それだけでなく、中尾はバイキンマン、若本はサザエさんのマスオさんの声優でもあるから、バイキンマンとマスオさんのやりとりとして見ること(N次創作)も可能なのだ。
そして、ドラゴンボール世代ならわかるが、途中でポプ子量産シーンがあるのだが、これは劇場版『ドラゴンボールZ 激突!!100億パワーの戦士たち』に登場するメタルクウラという、フリーザの兄貴のクウラが機械惑星ビッグゲテスターのメインコンピュータと融合し、復活したキャラクターが100体以上現れ悟空とべジータが絶望するシーンに重ねることができる。
いや本当は全く違うシーンなのだが、中尾という声優と量産シーンからそれを想像できるという、同じシーンでも声優が違うだけで全く違う風景に見えるという、非常に斬新な手法。
声優一発で、キャラもシーンも全く違うものに見えるというのはこれまで見たことのない手法。

そして2つ目、前半と後半の分断。
全く同じカットが2回続くとわかった2話以降から、前半少しわからないシーン(フランス語を字幕無しで話すシーン)や、ポプ子とピピ美の前半のやりとりが、後半どんな声優をキャスティングすることでどんなシーンに見えるのかという「問題」を出されたような気分になり、推理したくなるような快楽を享受できるのも斬新。
クイズ番組的快楽がある。

以上のように、同じ風景を全く違うものに見せる手法と、クイズ番組的手法によってこれまでにない斬新なアニメと言える。

で、なぜこの手法を思い付いたのか、を仮説で考えてみる。
おそらく前者はポケモンGO、後者はリアル脱出ゲームからヒントを得ていると思う。

前者のポケモンGOは、グーグルから独立したナイアンティックのジョンハンケがイングレスの後釜として作ったゲームで、元々は、「情報化された現実を探索することで人間は街の歴史や文化に触れ賢くなれる」という理念のもと作られたものだ。
普段歩いている街でも、意外に気付かない裏路地や建物があったりするのを、そこにいるポケモンをゲットしに歩いていくことで、街(現実)の魅力を再発見できる、という哲学。
これこそまさに、「毎日見ている同じ風景が違ったものに見える」という部分が共通している。

後者のリアル脱出ゲームは、部屋に閉じ込められた状態で、見知らぬ他人と協力しながらアイテム、暗号、パズルを解き、制限時間内に脱出するリアルイベントゲームで、その哲学がウェブサイトに書かれている。
http://realdgame.jp/about.html

以下引用。
「論理上なにをしても良い場所に私たちは生きて生活している。でもその場所で自由に動き、誰かと熱狂を分かち合うことは意外と難しい。「見知らぬ人とともに閉じ込められる」という限定された状況でこそ、人は自由に熱狂できる。なぜならその場所にはきちんと自分で切り開くべき物語があるからだ。物語の中で、きちんとした役割を果たすことができればこの空間から脱出できる。きちんとしたひらめきと、クリエイティビティと、丁寧なコミュニケーションさえあれば誰しもここから脱出できるように我々のゲームはデザインされている。
でも、そういう場所は他にたくさんあるわけではない。ここは、必要とされていたけれど、他の場所にはまだないエネルギーを生む場所なのだ。限定された空間と時間は、自由な発想と大規模な熱狂を生んだ。」

上記の哲学はまさに、ニコ動というプラットフォームで見るポプテピピックにおいて、「見知らぬ人とともに(画面に)閉じ込められるという限定された状況でこそ、人は自由に熱狂できる。なぜならその場所にはきちんと自分で切り開くべき物語(データベース)があるからだ。物語の中で、きちんとした役割を果たすことができればこの空間(問い)から脱出できる。きちんとしたひらめきと、クリエイティビティと、丁寧な(ニコ動コメントによる)コミュニケーションさえあれば誰しもここから脱出(解答)できるように我々のゲーム(アニメ)はデザインされている。」
と、「()」を補足することで、全く同じ哲学であることがわかる。

余談だが、ポケモンGOは、現実というのは既に情報化されている、つまり楽しめるものなので、現実をあくまで自然のまま、ありのままの現実を自分で検索してその再発見を楽しめるように、補助装置としてスマホ(ゲーム)があるのに対し、リアル脱出ゲームは、現実というのはロジカルでもないし見知らぬ他人と仲良くコミュニケーションできるわけでもない、ポストモダン以降の現代は複雑怪奇で課題も山積みで楽しくないものなので、だからこそリアルな場でも虚構が必要で、その虚構の中では仲間と結託して正しいアプローチで問題を解いていけば必ず脱出できるのだ、というゲームを作った、ということだと思うので、両者は真逆の哲学なのだと思う。
前者は現実そのものを肯定しており、手段としてゲームを使うのに対し、後者は現実を否定しており、現実そのものを、現実に限りなく近いが現実ではない虚構(ゲーム)として作り替えている。
さらに余談だが、リアル脱出ゲームでポプテピピックのコラボ商品も販売されている。(https://mysterycircus.jp/food

ということで、ポプテピピックは非常に興味深いアニメなのでした。