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R-1グランプリ決勝の感想。
お笑いにここまで時代性が反映されているのか、という驚きを感じた。
今の時代、他人を攻撃することは批判・炎上に繋がるから、自分を攻撃する自虐ネタか、誰も傷つけないクスクス笑いのどちらかしかウケないという仮説はあったが、R-1決勝がダイレクトにその世相を反映していたこのわかりやすさに一番笑ってしまった。
優勝した濱田祐太郎は、自身が視覚障害者であることを自虐ネタにしており、ネタのチョイスで優位に立っていたのと、漫才自体が巧かった。
さらに、Google検索では出てこない情報、つまり目が見えない世界を「身体言語化」するという究極の差別化が出来ていた。...
確かに視覚障害者のあるあるネタは、文字で読むよりも直接本人から聞いた方がそのリアルさがダイレクトに伝わってくるし、それを笑いに変えたら最強。はっきり言って圧勝だった。
最終決戦に残ったおぐ、ゆりやんレトリバァも、自虐ネタという時代性は捉えていたから最終決戦に進出したけど、そこから差別化できなかった。
逆に、他人への攻撃を笑いにする戦略を取った川邑ミク、紺野ぶるまは0ポイントだったので、他人を攻撃する笑いは完全に今の時代逆風だと証明されてしまったのが面白かった。
誰も傷つけない笑いを狙ったマツモトクラブも、最終決戦には行けなかったが、優勝した濱田祐太郎と予選で同点だったので、こういう笑いも今の時代はウケる、つまり他人を傷つける笑いはアウトな時代だとわかる。
ちなみに、80年代的な無意味性、意味のないクスクス笑いを狙った霜降り明星せいや粗品も点数が低かったから、今の時代には不適合ということなのだろう。
自虐ネタという、自分をネタに笑いを獲る手法は、自分より「下」の人間と見做した者を容赦なく笑えるという、ある意味視聴者の「卑しさ」のインサイトを突いた手法だから、何とも複雑な気分。
松本人志が昔、お笑い芸人は自虐ネタをやったら終わり、と言っていたが、松本的な、お笑い芸人というプロが視聴者というアマチュアを見下した、アートとしてのお笑い、という思想を持ったお笑いは、もう民放バラエティでは厳しく、サブスクリプションサービスでしかできないということだろうね。今回も審査員に松本人志はいなかったし。
ということで、時代の必然性が表れていて面白かった。
以下、個別の分析。
■1本目
ルシファー吉岡:変態性をネタ化
カニササレアヤコ:上流文化をネタ化
おいでやす小田:ホテルの客をネタ化
おぐ:オヤジを自虐ネタ化
川邑ミク:風俗ビジネスと(メタ的に)ぶりっ子女子をネタ化
チョコレートプラネット:アトラクション・安全性をネタ化
ゆりやんレトリバァ:(自身の存在を自虐ネタに)昭和文化をネタ化
霜降り明星せいや:無意味性をネタ化(クスクス笑い狙い)
濱田祐太郎視覚障害をネタ化(自虐ネタ)
紺野ぶるま:結婚できない女性をネタ化
霜降り明星粗品:世の中の日常的な矛盾をネタ(クスクス笑い狙い)
マツモトクラブ:家族ネタ(誰も傷つけない笑い)
■2本目(最終決戦)
おぐ:オヤジ性をネタ化(最後は自身の本音を出し過ぎ、自意識を吐露しすぎた感じ)
ゆりやんレトリバァ:自身をネタ化(少し自意識を吐露しすぎ)
濱田祐太郎視覚障害をネタ化(自意識は特になく客観的に障害を笑い化できていた)
最後は自意識を出し過ぎた2組が自滅した感じもあった。
とにかく濱田祐太郎の笑いは完成度高かった。優勝おめでとうございます。