ポケモンGoとリアル脱出ゲーム

繰り返しだけど、ポケモンGOとリアル脱出ゲームの違いについて書く。

ポケモンGOは、グーグルから独立したナイアンティックのジョンハンケがイングレスの後釜として作ったゲームで、元々は、「情報化された現実を探索することで人間は街の歴史や文化に触れ賢くなれる」という理念のもと作られたものだ。
普段歩いている街でも、意外に気付かない裏路地や建物があったりするのを、そこにいるポケモンをゲットしに歩いていくことで、街(現実)の魅力を再発見できる、という哲学。

一方リアル脱出ゲームは、部屋に閉じ込められた状態で、見知らぬ他人と協力しながらアイテム、暗号、パズルを解き、制限時間内に脱出するリアルイベントゲームで、その哲学がウェブサイトに書かれている。
http://realdgame.jp/about.html

以下引用。
「論理上なにをしても良い場所に私たちは生きて生活している。でもその場所で自由に動き、誰かと熱狂を分かち合うことは意外と難しい。「見知らぬ人とともに閉じ込められる」という限定された状況でこそ、人は自由に熱狂できる。なぜならその場所にはきちんと自分で切り開くべき物語があるからだ。物語の中で、きちんとした役割を果たすことができればこの空間から脱出できる。きちんとしたひらめきと、クリエイティビティと、丁寧なコミュニケーションさえあれば誰しもここから脱出できるように我々のゲームはデザインされている。
でも、そういう場所は他にたくさんあるわけではない。ここは、必要とされていたけれど、他の場所にはまだないエネルギーを生む場所なのだ。限定された空間と時間は、自由な発想と大規模な熱狂を生んだ。」

これを見てわかるのは、ポケモンGOは、現実というのは既に情報化されている、つまり楽しめるものなので、現実をあくまで自然のまま、ありのままの現実を自分で検索してその再発見を楽しめるように、補助装置としてスマホ(ゲーム)があるのに対し、リアル脱出ゲームは、現実というのはロジカルでもないし見知らぬ他人と仲良くコミュニケーションできるわけでもない、ポストモダン以降の現代は複雑怪奇で課題も山積みで楽しくないものなので、だからこそリアルな場でも虚構が必要で、その虚構の中では仲間と結託して正しいアプローチで問題を解いていけば必ず脱出できるのだ、というゲームを作った、ということだと思うので、両者は真逆の哲学。
前者は現実そのものを肯定しており、手段としてゲームを使うのに対し、後者は現実を否定しており、現実そのものを、現実に限りなく近いが現実ではない虚構(ゲーム)として作り替えている。

というのが面白いと思うの。