きっと、うまくいく の感想

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『きっと、うまくいく』を今更!ながら鑑賞したので、感想。

すいません、ニワカ映画評論家で。

これ観てなかったら映画語る資格なしですよね。猛省です。

これ、2009年公開って、アナ雪よりだいぶ前ですけど、アナ雪先取りしてますね。

95%面白くて同意ですが、一方でアジアだからこそ、逆に欧米よりポリティカルコレクトネスに鈍感だったりする部分や、最後のシーンで腑に落ちない部分もあったので、そこらへんを書いていきます。

ネタバレ全開です。

 


■あらすじ

大学時代の仲のいい3人のうち1人がある日消息不明になり、その10年後、その1人が現れたとの連絡があり、再会しに行く過程で、大学時代を振り返って行く話。

 


■感想

これは大ヒットしますよね。

まず、日本のポップカルチャーシーンでもそうでしたが、ゼロ年代の映像コンテンツは異性から同性へという流れがあり、そして学園モノが流行りヒットした時代です。

異性との恋愛より、同性同士で部活のノリでワチャワチャしてる方が楽しい、そして世代間で共通体験が無くなる中、誰しもが学校は行ったことがある、という学園生活を最大公約数的に描写することで、自分ゴト化させる手法です。

本作も、3人の楽しそうな様子が全開で、このノリが作品の面白さの前提として機能しています。

 


■ランチョー=Google

そしてその3人の中でも天才青年の、ランチョー君。

彼はGoogleの比喩ですよね。

インプットしたことをすぐアウトプット出来ます。

教育とは訓練ではない、強制的にやらされるものではなく自発的にやりたくなるもの、自然と知識が増えていくもの、だと。

これは、Googleの社是にも通じます。

「organize the world's information and make it universally accessible and useful」、日本語だと「世界の情報を有機的に組織化して、それをいつでもどこでも使えるようにする」という意味です。

情報を使いたい時にすぐに使えるように、知識を持ち、共有しておく。

そして、自発的にやりたいときにやる。

これは、昨今流行りのマインドフルネスという概念にも通じます。

何気ない日常を幸福に感じること、そのために世界を情報化することで、この世界が素晴らしいものとなり、歴史や文化を知りたくなる。

私にとっては、食べログがそうですし、ジョンハンケの作ったPokémon GOも同じ思想です。

 


興味深いのは、このGoogle的思想は、アップル=スティーブ・ジョブズも禅の思想から学んでいることです。

そしてこれらのGoogle・アップル=スティーブ・ジョブズ的思想は、アメリカ西海岸的なものというより、東洋思想的なものなわけで、まさにインド哲学なわけです。

 


インド哲学(東洋思想)

物語の中盤で、オールイズウエル、うまくいくんだ、という歌を歌いながら踊るシーンがあります。

これは、コミュニケーションというのを言語と非言語に分けた時、西洋哲学では言語=人間的なもの、意思を伝えやすい手段であり、非言語=動物的なもの、意思を伝えにくいものである、だから真理を知るには言語を使え、としたわけですが、東洋思想では、非言語的なものこそが最も真理に近いとされてきたわけです。

ナーガールジュナしかり、日本の般若心経しかり、最後は喋るんじゃねえ!踊れ!歌え!ですからね。笑

身体言語なんですよね、東洋思想は。

それをしっかりわかってるなぁ、と、中盤の踊りを観て感じました。

考えるな、感じろ、ですね。

 


■アナ雪との関連

勝手な想像ですが、Google、アップルが非言語領域の可能性に気づいた、というか、グローバリゼーションとは世界60億人を相手に商売することなわけで、そしたら言語に頼っている場合ではない、と切り替えたように、ディズニーもこのミュージカル的コミュニケーションの可能性に気づいたから、応援上映的なビジネスに着手したのかなと思います。

そしてその補助線としては本作が欠かせないことが分かって良かったです。

 


■物語展開のリズムについて

わりと楽観的な話が進む中、突如自殺シーンや出産シーンなど、展開がガラッと変わる印象です。

仮説ですが、これも、人間は何分ごとに感情を切り替えると心地いい、というマーケティングがされているような気がします。

何か、シーンの切り替えに、リズムを感じました。

それも、メッセージを言葉で伝えるというより、リズム感で伝えようとする現れなのかなと思いました。

 


■ポリティカルコレクトネスについて

今ディズニーは、西洋人だけ活躍させるコンテンツでは世界中にヒットさせることが不可能だと理解しているので、アジア人、黒人、女性といったマイノリティを必ず活躍させます。

一方で、インド映画はインド人向けにヒットすればいいからなのですが、物語上インド人の、男性しか活躍しません。

もっというと、チート能力をもったランチョーしか活躍しません。

2018年現在だと、少なくともインド人女性を活躍させないと、リベラルから反発を食らうような気がしました。

 


■全ては成功のため?

ランチョーのチート能力に絡むことですが、ランチョーの主張としては、やりたくないことを強制的にやらせるより、自発的に好きなことをやればいい、ということなのですが、気になったのは、そうすることで、成功するから、という最後の一言です。

結局は、成功が目的なのか?と。

マインドフルネスではないのか?成功なのか?と。

まだ2009年公開時ですし、インドの国力を増強する目的でインテリたちが集う大学がテーマだからなのかもしれませんが、成功、つまりお金を稼ぐことに何の意味があるのか?という問いも突き詰めて欲しかったです。

結局それをしていて楽しいからするわけで、目的と手段が一致している状態をマインドフルネスと定義できる、と私は思うのですが、そこは、語られていなかったので、補足してほしかったですかね。

 


でも全体的な感想ては、面白かったです。