レディ・プレイヤー1の感想

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レディ・プレイヤー1の感想。
ネタバレしておりますが、悪しからず。

■あらすじ
2045年の退廃した世界で、オアシスという仮想現実と戯れるゲームに夢中になる少年の話。

■感想の前に
既にみなさんが書かれている通り、この映画は80年代サブカルチャー(アニメ・映画・ゲーム)のデータベース消費最高!の映画です。
ネットにはどこのどんなシーンにどのオマージュがあるのか細かく調べられているサイトもありますので、ミクロなデータベース検索は、そちらにお任せしたいと思います。

■感想
結論というかテーマから言うと、2点あると思います。
1つは、スピルバーグのAR(具体的にはポケモンGO)に対する脅威・焦り、もう1つはスピルバーグの後継者問題です。

1.AR(ポケモンGO)への脅威・焦り
本作は基本的に過去のサブカルチャーと戯れる快楽を全面的に描写していますが、最後に今までの楽しいシーンを興ざめする一言をブッ込んできます。
「現実だけが本当の『リアル』だ」。
最後だけなぜか急にアニメやゲームに理解のない戦後昭和のジジイの常套句のような台詞をねじ込んでいます。
今まで仮想現実=虚構と戯れていたのは何だったのか?と思わされます。
これは私見ですが、スピルバーグ監督がAR的なもの、具体的にはポケモンGOを脅威に感じているからだと思います。
ポケモンGOとは、グーグルから独立したナイアンティックのジョンハンケがイングレスの後釜として作ったゲームアプリです。
思想的には、「現実は素晴らしいが、この現実の素晴らしさに気付いていない人たちを啓蒙するために、キャラクター探しという回路を使って街を探索させ、普段歩いている街の素晴らしさを再認識させる、あるいはまだ来たことのない街へ出向かせ、歴史や文化に触れさせたい」という思いが込められています。
実際にはその思想はあまり理解されず、街の素晴らしさに気付かず単にポケモンを捕まえてさっさと帰る人が多いのも事実ですが、狙いとしてはそんな感じです。
時代としても、SNSが主流になっており、仮想現実から拡張現実への流れは明白です。
対し、本作は、ARではなく「VR(仮想現実)」を通じた世界の素晴らしさを啓蒙するためのツールが使われています。
現実ではなく、バーチャル・虚構そのものの素晴らしさや、それを通じた現実や人間との繋がりの素晴らしさです。
前者がビデオゲーム、後者がオンラインゲームですが、そういった快楽を提供するのがVRです。
その思想は、現実を変えられない、という前提で、現実の代替物、現実逃避として価値があるのだ、というバックボーンがあって生まれたものなので、現実は変えられるし素晴らしいのだ、というAR的思想が到来している現在では、確かにスピルバーグ監督としては仮想敵と捉え、もはや虚構に逃げ込んではダメなのだ、と言いたくなる気持ちもわかるのです。
でも、個人的には、AR的・現実の素晴らしさを体感する快楽と、VR的・仮想現実の素晴らしさを体感する快楽は、敵対しないと思います。
まさに今、ARアプリがあるのにVRブームが来ていますし、現実だけでは人間は生きられないから虚構があるのですし、SNSのような、人間同士の距離を近づけすぎてしまう、繋げ過ぎてしまうものが孕む危険性もあるのです。
AR的なものとVR的なものは共存しますし、使いようなので、スピルバーグ監督がいうほど恐れを感じる必要はないと思います。
スピルバーグ監督自身は、新しいテクノロジーに対し懐疑的態度を取る方なので、仕方ないのかもしれませんが。
そして、現実にこだわるもう1つの理由。
これは社会的なものではなく、スピルバーグ監督個人としての人生観によるものだと思います。それが2つ目の話に繋がります。

2.後継者問題
本作のもう1つのテーマは、後継者だと思います。
本作に出てくる「オアシス」というゲームの創始者ハリデーと、主人公のウェイド。
これはどちらとも、スピルバーグ監督自身の投影だと思います。
前者が今、後者が少年時代の彼です。
少年の頃、スピルバーグ監督自身がそうでしたが、両親に相手にされず、サブカルチャーという虚構に閉じこもり、その虚構の中で輝いていた。
作中も特に父親の不在を感じさせたり、年齢的には主人公の父親くらいの、ソレントという人物が最大の敵役になっていたりと、幼少期の頃の人間関係が映画にも反映されているように思えます。
ちなみにソレントは、会社に忠実な半面、自分の行為を会社の命令だからと言い訳する嫌な奴として描かれ、最後も主人公が手に入れた卵を破壊しようと銃を撃とうとする奴ですが、これは父親というか、自分が青春時代に映画監督として成功するまでの過程で「邪魔」をしてきた大人に対する負のイメージの比喩なのかなとも思いました。
で、現実だけが本当のリアルだというメッセージは、観客へのメッセージというより、自分自身へのメッセージなのかと思いました。
これまで虚構によって救われてきた自分が、あまり現実を大切にしてこなかったこともあり、具体的には人間関係でうまくいかないことがあった、だから虚構ばかりでなく現実も見よう、と言い聞かせているように思えました。
そしてそれは、青春期の彼のような存在、つまり後継者を欲しているからそう言い聞かせているのだと思いました。
作中のゲームをクリアする上で重要な鍵の探し方でも、「バックする」「良き相手を見つける」「(クリアせず)遊ぶ」というクリア方法も、彼の思想を表わしていると思います。
あえて世の中の逆を行く、いい人生の伴侶・仲間を得る、遊ぶ。まさにそのものですが。
ちなみに、ゲームウォーズの原作と違って主人公とヒロインがイケメン美女なのは、これがまさにスピルバーグ監督の自己の投影の物語とするなら、そうしたくなるのも当然というところだと思います。

ということで、全体としては虚構と戯れる快楽が全面に出ていて面白いです。